定義の確からしさ
ねむ
以前書いた定義の記事につけたします。
前は、確か「定義はその目的に応じて不完全であって構わない」と述べました。
しかし、一つの問題として、目的が決まらない内に定義が論点になった時です。。
例えば、トピカリティ―のideaです。
「そもそも安楽死は医療問題ではなくて、人を殺しているんだから刑事問題だよ!!」みたいなことを言う人がいるかもしれません。
それもオピニオンメーカーも決まらないナローの途中とかでぶっ込んでくるので――
オピメの目的であるAD立論に基づいて定義を決めることができないわけです。。(−−〆)
では、このような時、何を基準に定義とすべきなのか?
それに関して2点思い浮かびます。
1点目は、事実に基ずくこと
2点目は、make situation betterに基づくこと
まず一点目の、「事実」ですが―― 当たり前の話です。
上の具体例で言うならば―― 安楽死はそももそ現在どういう風に扱われているのか? これに関しエビデンスや具体例を挙げて 安楽死が医療問題の定義に含まれることを立証します。
しかしながら、この問題点として―― そもそも上記のアイデアは安楽死が医療問題であることを知った上で出しているので、この基準は的外れです! やり方としては正しいと思いますが。。
事実が、定義の基準と出来ないとなると、定義なんて個人の価値観によってバラバラになることは容易に想像できると思います。
そんな時、何がテーブルにおけるコンセンサスなのかを考えてみるのも一つだと思います。
確かにオピメは決まってはいませんが―― ナロー以前に決まっているであろう目的があります。そのより上部の目的を基準とすればいいわけです。
というわけで―― 2点目のmake situation better というテーブルにおける唯一のコンセンサスを基準とすべきではないでしょうか??
よって、結論は「もし安楽死を医療問題の定義に含めた時に(刑事問題に含めた時よりも)make situation better for J/N を達成できているのならば安楽死は医療問題の定義に含むべき」ということになります。。
まあ、正しいかと言われれば、それほど自信はありませんが―― 何を基準にすればいいのかに困った時、コンセンサスがある、より上部の目的を定義の基準にするのは有効だと思います。
はい、今年最後のブログでした。
みなさん、よいお年を!!($・・)/~~~
以前書いた定義の記事につけたします。
前は、確か「定義はその目的に応じて不完全であって構わない」と述べました。
しかし、一つの問題として、目的が決まらない内に定義が論点になった時です。。
例えば、トピカリティ―のideaです。
「そもそも安楽死は医療問題ではなくて、人を殺しているんだから刑事問題だよ!!」みたいなことを言う人がいるかもしれません。
それもオピニオンメーカーも決まらないナローの途中とかでぶっ込んでくるので――
オピメの目的であるAD立論に基づいて定義を決めることができないわけです。。(−−〆)
では、このような時、何を基準に定義とすべきなのか?
それに関して2点思い浮かびます。
1点目は、事実に基ずくこと
2点目は、make situation betterに基づくこと
まず一点目の、「事実」ですが―― 当たり前の話です。
上の具体例で言うならば―― 安楽死はそももそ現在どういう風に扱われているのか? これに関しエビデンスや具体例を挙げて 安楽死が医療問題の定義に含まれることを立証します。
しかしながら、この問題点として―― そもそも上記のアイデアは安楽死が医療問題であることを知った上で出しているので、この基準は的外れです! やり方としては正しいと思いますが。。
事実が、定義の基準と出来ないとなると、定義なんて個人の価値観によってバラバラになることは容易に想像できると思います。
そんな時、何がテーブルにおけるコンセンサスなのかを考えてみるのも一つだと思います。
確かにオピメは決まってはいませんが―― ナロー以前に決まっているであろう目的があります。そのより上部の目的を基準とすればいいわけです。
というわけで―― 2点目のmake situation better というテーブルにおける唯一のコンセンサスを基準とすべきではないでしょうか??
よって、結論は「もし安楽死を医療問題の定義に含めた時に(刑事問題に含めた時よりも)make situation better for J/N を達成できているのならば安楽死は医療問題の定義に含むべき」ということになります。。
まあ、正しいかと言われれば、それほど自信はありませんが―― 何を基準にすればいいのかに困った時、コンセンサスがある、より上部の目的を定義の基準にするのは有効だと思います。
はい、今年最後のブログでした。
みなさん、よいお年を!!($・・)/~~~
アイデアを思いつくには――
アイデアが思い浮かばない人へ
そんなに深刻にならなくてもいいようです。。
優れたアイデアは向こうからやってくるもの、と言います
例えば、良いアイデアが浮かばず行き詰ってしまい、ふて寝をして朝起きて見ると「なんだこんな簡単なことが思いつかなかったのか!」というように、簡単に上手くいってしまうって経験は、
もしかしたら誰にも経験があるのではないでしょうか。
中国の思想家、欧陽脩と言う人は文章を作る時に、すぐれた考えがよく浮かぶ三つの場所として――
「馬上(チャリに乗ってる時)」「枕上(ふとんの中)」「厠上(トイレ大)」を挙げています。
特に「枕上」は就寝前のことではなく、
朝、目を覚ましてから、起き上がる時の時間の方が―― どうやらモノを考える上では良いようです。
夜、寝る前に深刻に考えすぎるのは寝つきを妨げるので、かえってよくないと言えます。
ということが外山滋比古『思考の生理学』に書いてあって、改めて納得しました。
お勧めです ぜひ(^O^)/
しかしながら―― そもそもディスにそれほど熱心でもない人がそんな悩みを持つのは分不相応ですが…
そんなに深刻にならなくてもいいようです。。
優れたアイデアは向こうからやってくるもの、と言います
例えば、良いアイデアが浮かばず行き詰ってしまい、ふて寝をして朝起きて見ると「なんだこんな簡単なことが思いつかなかったのか!」というように、簡単に上手くいってしまうって経験は、
もしかしたら誰にも経験があるのではないでしょうか。
中国の思想家、欧陽脩と言う人は文章を作る時に、すぐれた考えがよく浮かぶ三つの場所として――
「馬上(チャリに乗ってる時)」「枕上(ふとんの中)」「厠上(トイレ大)」を挙げています。
特に「枕上」は就寝前のことではなく、
朝、目を覚ましてから、起き上がる時の時間の方が―― どうやらモノを考える上では良いようです。
夜、寝る前に深刻に考えすぎるのは寝つきを妨げるので、かえってよくないと言えます。
ということが外山滋比古『思考の生理学』に書いてあって、改めて納得しました。
お勧めです ぜひ(^O^)/
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しかしながら―― そもそもディスにそれほど熱心でもない人がそんな悩みを持つのは分不相応ですが…
TGのwillがchangenableだったら・・・
最近、考えているwillのchangenableについてアイデア思いつきましたーー
アイデア(NFC)
TGのwillがchangenableであるために、ADが立証できても、harmと同じようなDA(例えば、DA= TG S/M)が起こった場合確かめる方法はないように思われる。
さらに、オピメのharmとseriousnessの構造がこのDAと同じであるから、DAが起こることは明らかだw。
T/P
・DAが立つことが×clearな要素がない
・AD>DAとなるアイデアがない(=コンパリゾンでm/b/sを確かめる方法がない)
NFCにおけるこのアイデアの必要性について
・NFCの基準には、AD〉DAのアイデアがなくてはいけない(もしDAが立つことが明らかならば)
RSN:具体例がなければ、コンパリでオピメが勝てないことは明白であるから
(=オピメのプランを見る価値がない)
反論1
そもそもそのDAが成り立つか分からんから、必要性はない。
↑反論の反論
大抵のNFCのアイデアはそうであるが、TGのwillがchangenableであるために生じるDAはオピメのharmとseriousnessの構造が同じであるから、AD立証した瞬間にDAも立つのは明らかだ。
(同じ構造をしたharmが立証されたのだから、同じ構造をしたDAも立つはずだ。)
反論2
一番大きなDAを選ぶべきだから、NFCではできない。
↑反論の反論
一番大きなDAを選ぶRSNは、ADを負かせうるDAであったほうがいいからだよね。ならこのアイデアは既に、その基準を満たしていると思います。→だからここで話すべきだ。
とりあえず、ここまで・・・
構造について説明が必要かな・・・
アイデア(NFC)
TGのwillがchangenableであるために、ADが立証できても、harmと同じようなDA(例えば、DA= TG S/M)が起こった場合確かめる方法はないように思われる。
さらに、オピメのharmとseriousnessの構造がこのDAと同じであるから、DAが起こることは明らかだw。
T/P
・DAが立つことが×clearな要素がない
・AD>DAとなるアイデアがない(=コンパリゾンでm/b/sを確かめる方法がない)
NFCにおけるこのアイデアの必要性について
・NFCの基準には、AD〉DAのアイデアがなくてはいけない(もしDAが立つことが明らかならば)
RSN:具体例がなければ、コンパリでオピメが勝てないことは明白であるから
(=オピメのプランを見る価値がない)
反論1
そもそもそのDAが成り立つか分からんから、必要性はない。
↑反論の反論
大抵のNFCのアイデアはそうであるが、TGのwillがchangenableであるために生じるDAはオピメのharmとseriousnessの構造が同じであるから、AD立証した瞬間にDAも立つのは明らかだ。
(同じ構造をしたharmが立証されたのだから、同じ構造をしたDAも立つはずだ。)
反論2
一番大きなDAを選ぶべきだから、NFCではできない。
↑反論の反論
一番大きなDAを選ぶRSNは、ADを負かせうるDAであったほうがいいからだよね。ならこのアイデアは既に、その基準を満たしていると思います。→だからここで話すべきだ。
とりあえず、ここまで・・・
構造について説明が必要かな・・・
クライテリアとコンパリゾン
お久しぶりです。
1回生が見てくれてるということで嬉しいです。
今後もちょくちょく書いていきます。 ディスの亡霊としてw
基準(J/C) と違い(D/P)は似ています。もうほとんど同じに扱ってもかまわないでしょう。
そして基準は比較(コンパリ)とも似ています。
しかし、少し限定的です。
それは基準が二つ以上になり、それらがある事象に対し相反する判断を下した場合に起こります。
いわば、どちらの判断が確からしいのかを決めるわけです。
おそらく、その結論は置かれた基準が各々判断した合計によります。より多くの肯定的判断された場合、その事象は肯定的で確からしいと言えます。
また
その比較に陥る前に、まずその基準がその事象を判断する基準として相応しいかを確かめなければななりません。
例えば、日本国民かどうかの基準は――
国籍があるかどうか、日本に住んでいるかどうか、税金を払っているかどうかetc
勿論、事実が分かれば問題はないでしょう。ただ分からない問題もあります。
もし、上の例が事実の分からない例だとすると――
その基準らしきものを集め基準にするべきか検討し、その上である人々が過半数を超える基準値を満たす場合は、彼らは日本国民で確からしいと言えるのだと思います。
1回生が見てくれてるということで嬉しいです。
今後もちょくちょく書いていきます。 ディスの亡霊としてw
基準(J/C) と違い(D/P)は似ています。もうほとんど同じに扱ってもかまわないでしょう。
そして基準は比較(コンパリ)とも似ています。
しかし、少し限定的です。
それは基準が二つ以上になり、それらがある事象に対し相反する判断を下した場合に起こります。
いわば、どちらの判断が確からしいのかを決めるわけです。
おそらく、その結論は置かれた基準が各々判断した合計によります。より多くの肯定的判断された場合、その事象は肯定的で確からしいと言えます。
また
その比較に陥る前に、まずその基準がその事象を判断する基準として相応しいかを確かめなければななりません。
例えば、日本国民かどうかの基準は――
国籍があるかどうか、日本に住んでいるかどうか、税金を払っているかどうかetc
勿論、事実が分かれば問題はないでしょう。ただ分からない問題もあります。
もし、上の例が事実の分からない例だとすると――
その基準らしきものを集め基準にするべきか検討し、その上である人々が過半数を超える基準値を満たす場合は、彼らは日本国民で確からしいと言えるのだと思います。
定義が論点となる時
シャトルバスの中で書いています。
ふいに、よしのの「マズローアーギュ」を思い出したので、書いてみます。
よしののマズローアーギュについて
→ TGはマズローの五段階欲求説の最下層、生存欲求がないから人間じゃない!
確かこんなアイデアでした。
これは定義からのアイデアであると言えます。
分かりやすい具体例を挙げると、死刑問題でしょう。
「死刑は国家が行う殺人だ!故に、犯罪である」
まあ、こんな感じです。死刑を犯罪である殺人と勝手に定義づけている訳です。
よしののアーギュもまた同じです。
ディスで言えば、ボラハが分かりやすいかもしれません。極論、よしののアイデアはボラハとおなじです。
しかしながら、マズローアーギュの厄介な点は、TGを人間外、つまり我々の助けるべき存在であるJ/Nから除外してやろう、というものである点です。
なぜなら、いつものボラハであれば、例外をさがすか、DAに流すかすれば良いのですが、この場合だとーー
TGが人間外だとコンセンサスが取れた瞬間、DAに流すまでもなく、我々のADの定義外となり、終わります。
ですので、このアーギュでは「例外探し」ぐらいでしか流せません。。
ここで気をつけなければいけないことは、例外探しとは、アーギュメンターの定義から外れるTGを探すことであり、矛盾を見つけることです。
アーギュメンターの定義を否定することではありません。
例えば、「マズローの説は、一つの考え方に過ぎないから、人間の定義に関しては他にも色々あるよね。だからマズローの説を絶対視するのは間違っている。」
これでは泥沼の一歩手前でしょう。なぜならアーギュメンターにとってはマズローこそが絶対的な定義となる価値をもっているからです。つまり価値観が論点になってしまうのです。
ただ、Qで「なぜその定義にすべきなのか?」は面白いかもしれません。そこからDAを引っ張り出すのもアリでしょう。
それでも、それはただの価値観ですのでDAなどという話ではないとも言えます。
というわけで、今日の発見は、定義によるアイデアはTGをJ/N外にすると、結構厄介なんじゃないのか?ということです。
ではなぜ、厄介なのか考えていきましょう。
一つは日本政府のタスク外となるから。
二つ目にボラハと違って、J/Nは概念ではなく既に存在しているからではないかと思います。
なぜ概念ではなく事実であると厄介なのかというと、既に存在しているが故にALLであるかのように扱われてしまうからではないでしょうか。そのため、その定義の適切さが論点となるのです。
しかし、そうなると価値観の議論に落ちていきます。
というわけで、結局、価値観の話になるので厄介なのでははないかと思います。
最後に、定義が論点となると価値観の議論となるのは先ほど言ったとおりです。言わば、インダイレクトアタックと同じです。
ですので、その水掛け論を避けるのならば、そのアーギュメンターの定義をまず受け入れることが大切だと思います。
ではでは。。
ふいに、よしのの「マズローアーギュ」を思い出したので、書いてみます。
よしののマズローアーギュについて
→ TGはマズローの五段階欲求説の最下層、生存欲求がないから人間じゃない!
確かこんなアイデアでした。
これは定義からのアイデアであると言えます。
分かりやすい具体例を挙げると、死刑問題でしょう。
「死刑は国家が行う殺人だ!故に、犯罪である」
まあ、こんな感じです。死刑を犯罪である殺人と勝手に定義づけている訳です。
よしののアーギュもまた同じです。
ディスで言えば、ボラハが分かりやすいかもしれません。極論、よしののアイデアはボラハとおなじです。
しかしながら、マズローアーギュの厄介な点は、TGを人間外、つまり我々の助けるべき存在であるJ/Nから除外してやろう、というものである点です。
なぜなら、いつものボラハであれば、例外をさがすか、DAに流すかすれば良いのですが、この場合だとーー
TGが人間外だとコンセンサスが取れた瞬間、DAに流すまでもなく、我々のADの定義外となり、終わります。
ですので、このアーギュでは「例外探し」ぐらいでしか流せません。。
ここで気をつけなければいけないことは、例外探しとは、アーギュメンターの定義から外れるTGを探すことであり、矛盾を見つけることです。
アーギュメンターの定義を否定することではありません。
例えば、「マズローの説は、一つの考え方に過ぎないから、人間の定義に関しては他にも色々あるよね。だからマズローの説を絶対視するのは間違っている。」
これでは泥沼の一歩手前でしょう。なぜならアーギュメンターにとってはマズローこそが絶対的な定義となる価値をもっているからです。つまり価値観が論点になってしまうのです。
ただ、Qで「なぜその定義にすべきなのか?」は面白いかもしれません。そこからDAを引っ張り出すのもアリでしょう。
それでも、それはただの価値観ですのでDAなどという話ではないとも言えます。
というわけで、今日の発見は、定義によるアイデアはTGをJ/N外にすると、結構厄介なんじゃないのか?ということです。
ではなぜ、厄介なのか考えていきましょう。
一つは日本政府のタスク外となるから。
二つ目にボラハと違って、J/Nは概念ではなく既に存在しているからではないかと思います。
なぜ概念ではなく事実であると厄介なのかというと、既に存在しているが故にALLであるかのように扱われてしまうからではないでしょうか。そのため、その定義の適切さが論点となるのです。
しかし、そうなると価値観の議論に落ちていきます。
というわけで、結局、価値観の話になるので厄介なのでははないかと思います。
最後に、定義が論点となると価値観の議論となるのは先ほど言ったとおりです。言わば、インダイレクトアタックと同じです。
ですので、その水掛け論を避けるのならば、そのアーギュメンターの定義をまず受け入れることが大切だと思います。
ではでは。。





